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鼕の歴史『松江の鼕』発刊
 (松江市鼕行列保存会創立四十周年記念誌) 



 ◇鼕の歴史◇
■鼕行列・宮行列史
【松江の鼕】
■はじめに
■左義長
■松江藩の左義長
■漁村の左義長
■農村の左義長
■町方の鼕叩き
■鼕行列の始まり
■現在の鼕行列
■鼕の叩き方
【松江の宮練り】
■歳徳神どんど行事
■歳徳宮について
■宮行列について
◆編集後記


町方の鼕叩き


 明治時代になって、松江市の近郊農村部は、正月に歳徳神の祭礼を行うのに対し、町方では二月十一日の紀元節(建国記念の日)と十一月三日の天長節(文化の日)に行った。
二回とも行事は殆ど同じであるが、秋の方が盛大な町が多かった。

 頭屋(又は、当屋)と称し、町内輪番で十五戸位が世話方となる。抽選で宮宿と、鼕宿が決まる。
これが当たった家はその一年幸運であるといって喜んだが、商家は商品を片づけねばならず大変であった。

 宮庫を開いて、宮宿へ運び、鏡餅・御神酒等供え物をして祀る。鼕は鼕宿へ運び、当番の方が、鼕の皮の上面へ酒を吹きかけて(そんなことをすると皮が固くなって、ベニヤ板を叩いているような音になります。傷みます。今はどこもしていません。)大勢して鼕を締めて“鼕宮(鼕台)”に納める。

 そして昼間は子どもが叩き、夜間は大人たちが叩く。なお、“鼕宮”へは、いろいろ飾り付けをし、各町内いろいろ思考をこらす。

 例えば、数十個の提燈をピラミッド型につるすとか、幔幕(まんまく)を張り巡らすとかし、子ども達は揃いの法被に鉢巻きをし、「小若」と書いた弓張り提燈を右手にかかげ「ホウホホエンヤ、ホイランエンエ、エヤサノサッサァイノ、ラノラノラ」と声を揃えて引き出す。

 「鼕宮」は、氏神様から天満宮までで引き返したものである。途中酒保と称する荷車から、大人は清酒を、子どもはアンパン等を貰う。

 頭屋の中から世話係を五〜六人選んで、この人達が「鼕行列」責任者となって、世話係と書いた丸型の提燈を持ち、途中で他町の行列と行き会う時、喧嘩(昔は鼕台のぶつけ合いや、殴り合いをした)にならぬ様、お互いに注意しあってすれ違ったものである。

 「鼕」の大きさは、明治初期から中期頃、大鼕を所持していた町は、横濱町と石橋三区位なもので、どちらも直径が六尺(180センチ)あった。
この鼕を、丈夫な木枠で造られた鼕宮(鼕台)に納め、太い麻縄の引き綱を付けて引き回した。

 他の町は、直径五十センチ位な鼕を二個か、又は、それに小太鼓一個を加えたもので、ごく簡単な鼕台の一方をやや高くしたものに組み込み、横歩きしながら叩いたもので、この折、ミタミタ節を歌うこともあった。

 其の後、町内に集会所または公会所が出来たので、平素歳徳神を納め、そこで祭りを行い、また、鼕を叩く町内が多くなった。

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