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鼕の歴史『松江の鼕』発刊
 (松江市鼕行列保存会創立四十周年記念誌) 



 ◇鼕の歴史◇
■鼕行列・宮行列史
【松江の鼕】
■はじめに
■左義長
■松江藩の左義長
■漁村の左義長
■農村の左義長
■町方の鼕叩き
■鼕行列の始まり
■現在の鼕行列
■鼕の叩き方
【松江の宮練り】
■歳徳神どんど行事
■歳徳宮について
■宮行列について
◆編集後記


宮行列について


 さて宮行列についてであるが明治年代には各町内別々にやっていたようである。

 宮は特殊な方法で清潔な白紺でくくられ、町の青年が法被に豆絞りの鉢巻きで「めでためでたの若松さま」を唄い練りながら歩いた。

この技術はむずかしいもので、あわや家の中へ突入するか或いはひっくり返りはせぬかとハラハラさせられる事があった。

しかし町内の年寄り役が二、三人ついていて旨く制止し、他町とすれ違っても喧嘩にならぬ様その年寄り役が顔をきかせた。

少年達は派手な法被に采配を持ち、数十人が宮を囲んで、「チョウサヤチョウサヤ」のかけ声も勇ましく駈けて行く。この采配とは、和紙を巾四センチ、長さ三十センチ位に折り畳んだものの先をローダミン(薄紅色または青竹色の染料)に浸けてぼかし染めにしたものを九十センチ位な竹に十枚程度くくりつけたものである。

 さて、この町内単位のグループを二十組も三十組もまとめて参加させて練り歩くものを宮行列という。大正時代に入ってからは少女も参加したから一層華やいだ豪華なものになった。

この時には各組に責任者がつき又、警察官も所々について行列がスムーズに行く様にする。明治年代には時々酒の勢いもあって、ぶつけ合いの喧嘩になり、その筋から禁止命令が出たこともあったという。

 ところで、この宮行列が松江市で盛大に行われたのは、大正四年(1915)十一月、大正天皇御大典の折りである。

御大典は、十一月六日京都に行幸され、十日の紫宸殿における即位式に始まり、続いて賢所の儀・大嘗祭とそれに関連する諸行事が二十六日まで行われ、二十九日に東京にご還幸されたのであるが、松江市における奉祝行事は、十日から十七日まで行われた。

 まず、松江市各町内は思い思いの装飾で彩られ、十一日は朝から小学生の旗行列、夜は中等学校生徒の提燈行列、十二日音楽会、十三日は曳き屋台・山車の繰り出し、手踊り提燈行列と続き、十四日に宮行列、十五日は鼕行列、十六日に曳き屋台と仁輪加、十七日にも仁輪加と、連日奉祝行事の賑わいが続いた。

 さて、十四日の宮行列については、次のことが記されている。「午後一時より、市内二十八か町三十一宮の宮行列あり、全行列の長さ二十余町(約二キロ)石橋の端より始め、市内各町を練り歩き未曾有の賑を呈せり」(『御大典記念写真帖』関写真館発行)とある。

 次に行われたのは、大正十三年である。
この年一月に皇太子殿下御成婚の儀あり、五月に東宮御成婚並びに大正天皇銀婚式祝賀があったので、同月十日に宮行列を行った。

更に、昭和三年の御大典を奉祝して行い、昭和三十四年には松江市制七十周年を記念して行われたが、何れも豪華絢爛たるものであった。

 現在でも、石橋町では二月十一日に歳徳宮を宮庫から出し、町内を担いで練り歩き、氏神様(田原神社)に至り、平穏と家内安全、商売繁盛を祈願されている。これは、伝統行事を守る意味からも有意義なことと思う。

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